洗足学園第一高等学校の思い出

洗足学園第一高等学校 沿革 

沿革


 大正13年6月、本学園創設者である前田若尾(写真)は、当時の女子教育の在り方に不甲斐なさを感じ、平塚村戸越(現在の品川区戸越)に平塚裁縫女学校を設立しました。その後平塚裁縫女学校は順調に成長を続け、大正15年5月、現在本校がある碑衾町碑文谷(現在の目黒区洗足)に洗足高等女学校が設立されました。
  その後、戦災による全校舎の消失という苦難を乗り越え、戦後教育学制の改革に伴い、洗足高等女学校は洗足学園第一高等学校として再スタートしました。昭和51年に、校名を洗足学園大学附属第一高等学校に改称。平成14年から再び校名を洗足学園第一高等学校として、現在に至っています。
創設者 前田若尾  
   
「洗足」の由来
 洗足高等女学校が設立された現在の目黒区洗足は、当時碑衾町碑文谷と呼ばれていました。校名の「洗足」の字義は、敬虔なクリスチャンでもあった前田若尾が新約聖書ヨハネによる福音書第13章の中から得たものです。
  処刑される前夜、キリストは12人の弟子達と最後の晩餐を共にしました。その席上キリストは自ら水をたらいに汲み、弟子達の足を洗い清め、「我は主または師なるに、なお汝らの足を洗いたれば、汝らも互いに足を洗うべきなり。我汝らに模範を示せり、わがなせしごとく、汝らもなさんためなり」と教えました。
  この教えにこめられた精神は、謙譲であり、愛であり、犠牲であり、奉仕であります。愛の心を持って互いに他人の苦痛を分かち合い、世の混濁を清める犠牲的奉仕の心こそ、真に福祉への導きとなるゆえんであり、勉学に励んで知識の向上を図るだけでなく、愛による奉仕の精神を養うことが本学園の理想とするところです。「洗足」の名前はこれに基づいています。

 

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