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創設者 前田若尾 | |||
「洗足」の由来 | |||
洗足高等女学校が設立された現在の目黒区洗足は、当時碑衾町碑文谷と呼ばれていました。校名の「洗足」の字義は、敬虔なクリスチャンでもあった前田若尾が新約聖書ヨハネによる福音書第13章の中から得たものです。 処刑される前夜、キリストは12人の弟子達と最後の晩餐を共にしました。その席上キリストは自ら水をたらいに汲み、弟子達の足を洗い清め、「我は主または師なるに、なお汝らの足を洗いたれば、汝らも互いに足を洗うべきなり。我汝らに模範を示せり、わがなせしごとく、汝らもなさんためなり」と教えました。 この教えにこめられた精神は、謙譲であり、愛であり、犠牲であり、奉仕であります。愛の心を持って互いに他人の苦痛を分かち合い、世の混濁を清める犠牲的奉仕の心こそ、真に福祉への導きとなるゆえんであり、勉学に励んで知識の向上を図るだけでなく、愛による奉仕の精神を養うことが本学園の理想とするところです。「洗足」の名前はこれに基づいています。 |
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